店主ブログ
vol.19『生誕180年・ルノアール展 in山王美術館』
2021年7月3日(土曜日)絵画史上、最も美しい女性の絵
『生誕180年・ルノアール展 in山王美術館』に行って参りました☆彡。
ルノアール。
「聞いたことがない」という人はほとんどいないと思います。現代の市場価値は数億円以上は必至。絵画史上、最も有名な巨匠の一人です。
ルノアールが生涯をかけて描き続けたのは“女性”。5000点とも言われる生涯作品にたくさんの女性が登場します。
この少女の絵は「絵画史上最も美しい少女の絵」と言われています。
“いかに女性を美しく幸せに描けるか”というのが画家ルノアールの最大のテーマでありました。
私が印象に残っているルノアールの名言があります。
「人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを描く必要はない。」
ルノアールの人生は決して平穏なものではありませんでした。幼少期は貧しい暮らしで、絵付け職人としてようやく職を得たものの、産業化によってあっさり職を失いました。過酷な戦争経験や持病との闘いなど、“不愉快”なことが多かったと思います。
だからこそ、「絵は、美しく、幸せなものを描きたい」とルノアールは思ったんだと思います。
実は、こういう明るい雰囲気の人物絵が世の中に広がったのはルノアール達のおかげです。
ルノアール達は絵画史に残る大きな革命を起こしました。
絵画史を塗り替えた、明るく・美しく・幸せな絵。
“ルノアール達”と先程から申し上げておりますが、一般的な呼ばれ方は、“印象派”。今だからこそ絵画史に残る“名集団”といえますが、登場した当初はそれはそれは酷評の嵐でした。キリスト教の影響が大きい西洋では、それまでは、しっかりと“神”を描くことが絵画の伝統的なテーマだったわけです。はっきりと、厳かに、シックに描くという雰囲気でした。
なので、特権階級(政府公認の団体※サロン)の人々は印象派の絵を見て、「あんなものは絵じゃない」「生気のない死体みたいな絵だ」とか酷い言いようだったそうです。今では、考えられないですよね。
印象派の中心人物はルノアール、モネ、シスレー。彼らは、自分たちが感じる“印象”のままに風景や人物を描きました。しかし、それは伝統的な絵画を重んじるサロンには、到底、認めてもらえませんでした。認めてもらえないと支援はしてもらえないので、実質、画家として食っていけない。絵を描くことすらできない。今と違って当時、絵を描くことは物凄くお金がかかることでもありました。
しかし、こんな逆風の中でも“印象派”の面々はくじけませんでした。「絶対、いつか、俺らを分かってくれる」そんな気持ちで、自分たちの個展を何年も、何回も開催したわけです。
ただ、努力はなかなか報われず、全く評価されない、見向きもしてもらえない、成果が出ない。
ルノアールは思いました。
「敵が強すぎる、このままじゃ、ラチがあかねぇ」と。
そして、ここで英断します。
「まずは敵の懐に入るべく、サロンに認められるような絵も描こう。」と決意。ただし、「古典的・伝統的な描き方だけでなく、新しい技法もうまく組み合わせて描こう」と考えました
印象派は絵の具を“混ぜず”、絵の具を点や線で“置く”ように描きます。混ぜるとどうしても暗くなる色が、絵の具を置く技法では混ざらないので明るく見える。また、輪郭を描かずに色を重ねて置くことで淡い眩い雰囲気を出す。このような新しい技法を適度に使いつつ、従来の古典的な構図やアイテムを融合させて描いた。それが、この『シャルパンティエ夫人とその子供たち』です。それは、サロンに、貴族に大いに評価されました。
絵画史上、大きな分岐点になった絵だと私は思います。
なぜなら、印象派の描く絵が“公式に”評価されたことにより、これ以後、印象派に大いに注目が集まるようになったからです。
ターニングポイントですね。
絵画評論家の中には、“ルノアールは他のメンバーと比べると生活に困っていたのでサロンに屈していた”、“実はスパイだった”的な意見もあるようですが、決して私はそうは思わないです。ルノアールを良く知れば、サロンの子飼いのような晩年を送ることはありませんでしたし、死ぬ数時間前まで、新旧融合させた自分ならではの絵画を模索していました。
今回の展覧会でもそうですが、ルノアールの絵を見ると、いつもとても幸せで優雅な気持ちになれるんですよね。時代や国籍を超えて、そんな気持ちにしてくれる絵はなかなかないと思います。少なくとも、私にとっては、そんな気持ちにさせてくれる画家はなかなかないです。
今回も貴重な展覧会、本当にありがとうございました。
日本でお目にかかるのはとても貴重なルノアールの絵をこんなに多く見せて頂いた山王美術館さまには感謝感謝です!
革命が起きる時、そこには必ずある時代の“流れ”。
歴史が変わる時、やはりそこに“時代の流れ”というものがあると思います。
日本史で、幕末の志士たちは確かに偉人でしたが、江戸幕府の財政がジリ貧で傾きかけていたことや、アメリカ・イギリスの支援があったことなど、色々な要素が絡み合って大変革が起きると思います。
印象派の画家モネ、ルノアール、シスレーが偉人であったことは間違いありません。ただ、印象派に追い風となったいくつかの歴史的要因は確かにありました。
大きく3つ挙げました。
1つ目、産業革命です。産業革命は機械化を促進しました。それにより、絵付の職を失ったノアールは画家を目指しました。また、市民は裕福になり、余暇ができたので幸せな光に満ちた生活を送ることができました。印象派が描く対象となった世界観です。
そして、2つ目、発明です。カメラが発明されて、それまでの写実主義(古典絵画)の世界観が否定されたというのも印象派を後押ししたかと思います。また、チューブ入り絵の具が発明されて、比較的安価で絵を描けるようになりました。また、屋内でしかできなかった絵画制作が、絵の具をチューブで持ち運べるようになり、光ある屋外へと制作の場を広げることができたのも大きな要因でした。
3つ目、万博です。19世紀末にはロンドン万博、パリ万博が開催されました。その折、印象派は日本の浮世絵などの絵画技法、アメリカの文化など、異国文化に多大なる影響を受けました。その影響があって、これまでのヨーロッパの伝統的技法だけでない表現を開発することに繋がったと思います。
そんな歴史の追い風の真っ只中、ルノアールやモネやシスレーは「これからはみんなが明るく幸せになれる絵を描きたい!」と思っていたことでしょう。時代が彼らを望んでいたと思わざるをえないくらいです。
美術を鑑賞する時、その作品の背景を知ることでより広く深く興味を持てると思います。ぜひ皆さまも気になった作品の背景をもう少し深く探ってみて下さいませ。きっと、より楽しむことができますよ。
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