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vol.25『京(みやこ)の国宝~守り伝える日本のたから~ in京都国立博物館』

京。国宝。京都国立博物館。藤美堂。
2021年8月22日(日曜日)

日本の美、ここに極まれり。

『京(みやこ)の国宝~守り伝える日本のたから~ in京都国立博物館』に行って参りました。

京。国宝。京都国立博物館。藤美堂。

“国宝(こくほう)”

響きが綺麗。それになんかワクワクします。滅多にお目にかかれるものでもないし、手に触れられることなんてまずないですからね。

普段の会話でも「そんなんあったら国宝クラスやねぇ」とか笑って使ったりもしますし、最近では「国宝級イケメン」なんて言葉もあるくらいで、一般的な言葉となっています。

“もの凄く貴重で素晴らしい”というイメージでしょうか。

今回の展覧会は9月12日までですが、たくさんの国宝・重要文化財を見ることができます。京都国立博物館なので京都を中心とした御品ですが、さすが、国立です!。

2022年に文化庁は京都に移転することもあって、「京都から古き良き日本文化を発信するぞ!」という計画もあるそうで、今後も期待です。

行かれた方、行かれる方、行くことができなさそうな方、、、色々な方がいらっしゃると思います。

折角なので、今日は私が注目している中で2点ほどご紹介させて頂きたいと思います。

■国宝『御堂関白記』

日本史では超有名人物の日記です。

※国宝 御堂関白記 自筆本 寛弘元年上巻(部分)平安時代(10~11世紀) 

(紡ぐプロジェクトHPよりhttps://tsumugu.yomiuri.co.jp/miyako2021/highlight.html)

「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたることも なしと思えば」(この世の全てにおいて自らの叶わない願いなどない)という権威・権力全開な歌を詠んだ人物。

そう、藤原道長であります。

貴族と言えばこの人、貴族栄華の象徴、源氏物語の主人公・光源氏のモデル。

これは本当に貴重なもので、“世界最古の自筆日記”なんですよね。

そして、面白いのは、その内容。よく読んでみると、「私が出世できたのは偶然だと思う」なんて弱気なことをあの道長が言っているんです。世のイメージと違う、道長の意外な内面がそこにはあります。

この『御堂関白記』は戦後にはじめて指定された国宝(1951年6月)でして、2013年にはユネスコの「世界の記憶」に選ばれており、まさにお宝であります。

■国宝『刀』(稲葉江)

これは一般的にはあまり知られていない、知る人ぞ知る人物の刀です。

※国宝 刀

金象嵌銘天正十三十二月日江本阿弥磨上之(花押)/所持稲葉勘右衛門尉(名物稲葉江) 鎌倉~南北朝時代(14世紀) 山口・柏原美術館  

(紡ぐプロジェクトHPよりhttps://tsumugu.yomiuri.co.jp/miyako2021/highlight.html)

その名は、江(郷)義弘(ごうよしひろ)

日本刀の歴史には、“天下三作”と呼ばれる頂点を極めた3人の刀工がいました。

義弘はそのうちの一人です。

徳川将軍たちもこぞってコレクションしたほどであります。

実は、この将軍コレクションの中には偽物があると噂されるほど、義弘の刀は稀少でした。義弘は刀にを刻まなかったり、作品数が少なかったんですが、そのため、偽物(当時から現代まで)が数えきれないほどあると言われています。「郷と幽霊は見たことがない」という言葉があるくらいのプレミア感です。

今回の展示の「稲葉江」は由緒来歴のある義弘の刀で、最も有名なものの一振りです。

信長・秀吉に仕えた稲葉重通が所持していた江(郷)の刀、通称「稲葉江」。

まさに幻のお宝であります。

“国宝”とは一体なんなのか?

今回の展覧会では、国宝という制度ができた時の関連書物なども展示されてありました。これ自体がとても貴重です。

「そもそも、国宝とは何?なぜ、そんなものができたの?」

少し気になりませんか?おそらく、展覧会に行ったら、より気になるはずです。

ご存知な方もいらっしゃるとは思いますが、そこら辺を、私の知るかぎりお話させて頂こうと思います。

今回の展覧会の補足にはなると思います。

「国宝とは何か?」

国宝とは「重要文化財のうち、製作が極めて優れ、かつ、文化史的意義の特に深いもの。学術的価値が極めて高く、かつ、歴史上極めて意義の深いもの」と説明されます。ちょっと、ややこしいですね。

つまるところ、、、、、「文化財保護法という法律に基づいて日本国政府の文部科学大臣が指定したもの」が文化財になるんですが、その中の貴重なものが重要文化財、さらにその中の貴重なものが国宝と考えれば良いかと思います。

国宝指定までは非常に狭き門です。まず、文化審議会という組織が「これ!」と思ういくつかの候補について綿密な調査をします。そして、その調査結果を文部科学大臣に申請します。有識者の意見も踏まえ、入念な審議となり、あっても年間数件だけが国宝指定となります。一方で、国宝は破損したりなんかすると取り消されたりすることもあります。増える傾向にはあるが、減るものもあるということですね。

以前に詳しい方に少しお聞きしたことがあり、個人的な解釈にはなるんですが、“国宝”指定を受けるものは、歴史的価値があるのはもちろんなのですが、多くの観る者を惹きつける“気品”のようなものがあるとのことです。審議でも満場一致もけっこう多いのだとか。。。

国宝といっても制度なわけですから、最終的に選ぶのはですからね。判定する人の心に自然と深く気持ちよく響くものでなくてはならないでしょうね。

現在のところ、令和3年8月1日時点で、国宝:1125件 重要文化財:13330件。

ちなみに、令和3年は5件もの国宝が新たに指定されました。豊作年!すごい!

伊藤若冲「絹本著色動植綵絵(けんぽんちゃくしょくどうしょくさいえ)、狩野永徳「紙本金地著色唐獅子図」など、そうそうたる作品であります。

菅総理も、「積極的に全国に貸し出す」と宣言しており、新たな国宝が国民の財産として共有されるのは本当に嬉しいことだと思います。

今から、ほんと、待ち遠しいですね。。。。

※狩野永徳「紙本金地著色唐獅子図」 wikipediaより

なぜ、“国宝”というものが生まれたのか?

では、最後に、「なぜ、国宝というものができたのか?」についてです。

これについては、ある一人の“外国人”によるところが大きいんです。

その名は、アーネスト・フェノロサといいます。

フェノロサはアメリカ人です。ハーバード大学の哲学科を優秀な成績で卒業しました。美術にも興味をもちボストン美術館で絵画も学びました。そして、東京大学の教授として招致され来日することになるのですが、その時、運命の出会いをします。

日本の仏像や浮世絵、古美術品に感動し心を奪われたんですね。「衝撃だった」と言っています。

その後、フェノロサは古美術品を収集し、鑑定法を習得し、全国の古社寺を旅しました。そして、日本文化(能楽、茶道)を学び、ついには改宗して仏教徒にまでなりました。

そんなフェノロサの目にうつったのは、なんとも悲しい当時の日本人の姿でした。

明治の文明開化は盲目的に西洋文化を崇拝し、“廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)”という名のもと、日本古来の寺・仏像を破壊し、古美術を廃棄していました。政府は、日本の古社寺の文化(美術)的価値を正確に把握していなかったので、民衆の行動を止めることもなく、むしろ扇動していたわけです。諸外国は、政府が中心となって国の文化財を調査・保全していくシステムが整っていましたが、日本にはそれが全くなかったんですね。

フェノロサは、「日本美術を守らないといけない。政府が管理する仕組みをつくる必要がある」と、政府にうったえました。そして政府は、フェノロサを古社寺調査団に抜擢します。ちなみに、ここは余談ですが、政府側としては、これからの文化的戦略(国際的に一等国と認められるべく、皇室関係の文化財を重点的に保存することで、欧州諸国に正史を語る必要がある)・経済的戦略(殖産興業として、良質の古美術を保存することで良質な美術工芸の創作・輸出を促す)としての思惑があったと思います。鬼の新政府にも利点があったということ。win-winということでしょう。薩長同盟しかり、歴史が動く時は、表と裏が合致したときです。

そして、そのフェノロサ調査の結果が元となり、1897年に古社寺保存法という法律が制定されました。これがまさに、“国宝”“重要文化財”などを指定するための、現在の文化財保護法の原型であります。現在の東京芸術大学となる東京美術学校の創設にも尽力しました。

フェノロサは、当時に希望を失いかけていた若い日本画家たち、また、壊滅的な文化的被害となった奈良の民衆に向けて演説をおこなったことがあります。

原文を読んだ時、私は、本当に涙が出ました。

「日本の文化は、決して、欧米のそれに劣ることはない。他のアジア諸国にもない貴重な仏教文化も残っている。日本の皆さん、日本と言う国に誇りをもって、気高い精神で、その美しい文化を守っていってください」

そんな内容でした。

日本美術、日本文化、、という概念ができたのもこの頃からとされています。

日本史にはたくさんの偉人がいます。多くは、新しい時代を切り開いた人物たちです。しかし、一方で、き良きを守った人物がもっと賞賛されてもいいかもしれません。今日、日本美術や芸術を楽しめているのは、そのおかげなんですから。

今回も貴重な展覧会を拝見させて頂くことができました。

本当にありがとうございました。

京都国立博物館さまに、感謝、感謝です!

京。国宝。京都国立博物館。藤美堂。

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