店主ブログ
vol.12『遠州・不昧と大名家の茶 in 中之島香雪美術館』
2021年5月14日(金曜日)※ご覧頂きありがとうございます。以下、個人的見解が多分に含まれた独自の内容になります。その辺をご理解頂きまして、何卒ご容赦頂ければと思います。悪しからず。
茶道具、“見立てる”力を受け継ぐ者。
『遠州・不昧と大名家の茶 in中之島香雪美術館』に行って参りました☆彡。
今回のテーマは“茶道具”。
皆さまの中には、茶道具をあまりご存知ない方もいらっしゃるでしょう。“茶道具”と言われるとどのようなイメージでしょうか?
おそらく、“高価なもの”というイメージをもたれている人は少なくないと思います。私の知人で茶道具をよく知らない人でも「茶道具は高価(そうな)なもの」と思われていることが多い。
では、いつからそんなことになったのか?と言いますと、今から約400年ほど前の織田信長・豊臣秀吉という2人の大権力者によるものであります。
「白も黒と言えば黒になる」天下人が、茶道具を一国(いっこく)の価値があるものと見立てました。この“見立てた”というところがポイントです。天下が治まってくると部下に恩賞として与える土地がなってくるわけですが、その代わりとして“一国”の価値があると見立てた茶道具を褒美としました。
その“見立て”ですが、もっとも、茶道具の専門家による“目利き”が必要です。それが千利休であります。千利休が“見立てた茶道具”は信長・秀吉の庇護を受けることで、“一国に値する高価なもの”と認められました。その後、その意思を受け継ぎ“見立てる”者として世に認められた人物こそが、古田織部であり、今回の展覧会の主役であります小堀遠州、松平不昧ということになります。遠州・不昧が見立てた茶道具は、400年の時を超えた現代の人々も魅了する道具となっています。
見立てる、それは“価値”を見出すこと。
今回の展覧会の主役である小堀遠州と松平不昧は江戸時代を代表する茶人であります。
小堀遠州は千利休の孫弟子(古田織部の弟子)にあたり、徳川3代将軍の家光の指南役でありました。太平の世の中になり、将軍や大名の交際儀礼として茶の湯が広まったわけですが、そんな需要が高まっていた茶道具を見立てていた人物こそが小堀遠州でありました。
松平不昧は松江藩(島根県)の名君として歴史のその名を残しておりますが、茶人としても見立てる力に長けた人物でした。その見立てた茶道具により、傾いた藩の財政をV字回復で立て直しました。また、自らが茶道具の名品と定めた書物を編纂し後世にも残したんですね。
2人に共通して言えること、それは、茶人を魅了する茶道具を見立てる力に秀でていたということであります。
ところで、何度も“見立てる”という言葉を使っておりますが、「なに?それ?なんか分かるような分からないような・・・・」と思われると思います。稚拙ではございますが、私なりの解釈でお話したいと思います。
先に結論を申し上げますと、“見立てる”力とは”価値を見出す力”だと私は思っています。
一見、なんとなく怪しい匂いすらありますが、“本当の見立て”というのは、決してそうではないのです。なぜかというとそこには心が通っており、長い時が経っても、人々に価値あるものと認められている。美術や芸術は川の流れのように自浄作用が働くものだと私は考えていますので、本当に価値あるものかどうかは時間が教えてくれると思います。
例えば、遠州・不昧が見立てたものの中で、【割高台茶碗】【伊羅保茶碗】【蕎麦茶碗】などの朝鮮から渡ってきた茶碗があります。通称・李朝茶碗といいます。李朝茶碗の多くは、雑器(日常使い)として用いられていたものであります。飯茶碗だったと言う研究者もいるくらいですから、当時の朝鮮ではとるに足らないものだったでしょう。
ところが、異国で雑器として扱われていたものが、当時の日本で高価な美術品として扱われるようになった。それは、つまりは、多くの茶人の心をつかんだからにほかなりません。遠州や不昧公が見立てた心は、まさに“わびさび”という価値であり、異国の何気ない日常にそれを見つけたわけであります。大先人であります千利休から継承した心と才であり、遠州・不昧が開花させたと言えます。なので、異国の人々にはとるに足らない茶碗であっても、わびさびの茶の世界には見事にマッチすることで、多くの茶人たちに評価されました。そして、400年の時を超えた現代でも、遠州や不昧公の道具は茶人の垂涎の的であり、中には数百万円、数千万円以上、値もつけられないようなものまであります。
実は、こういう流れは美術・芸術、アートには珍しくないんですね。例えば、日本の大正時代に民芸運動がおきました。明治以降の一方向な欧米価値観への反発もあり、それまで取るに足らなかった素朴なもの・実用的なものを見直そうとする運動であります。結果的には、それを求める人が増えれば増えるほど民芸作品の価値も上がり、結果的にとてつもない高額になったものもたくさんあります。世界史の文化的革命の一つであるルネサンスも、それまでの宗教的権威主義への反対もあり、それまで忌み嫌われていた俗的で人間的な作品への需要が高まったことで、それまでのアートを凌ぐほどの価値になったものもたくさんあります。
美術品の価値というのは、人々の需要が高まれば価値は高まるという自然の摂理。また、歴史もアートも時代は繰り返すということ。そして、いつもその転換点には、「これは新しい価値になろう」と見立てる人物がいるということを、あらためて教えられた気がしました。そんなことを考えながら、今回の展覧会はぐるぐると7周、約1,5時間ほど滞在させて頂きました。
私は不昧伝来のような“わびさび道具”はとても好きなんですが、今回の展示品の中では、竹細工がとても魅力的でした。竹は時代とともに出る風合いなどがよく分かります。竹細工は茶道具の中でも繊細で、脆い道具の一つなので、いかに大事にしてきたかが分かるんですよね。今回の展示品の竹の花入れ、お茶杓など、めちゃくちゃ良い雰囲気でした。作家や持主の作品への愛情を垣間見ることができた時、なんか得した気分になるというのが正直な気持ちです。
今回も貴重な体験、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
~~~~余談~~~~~
今回の展覧会と直接関係ないのですが、遠州も不昧公もその書物を何冊か読んだことがあるのですが、日常の生活の中で色々なものを見立てて楽しんでいた様子がうかがえます。見立てるとは何も高価なものばかりではなく、「その役目がなくなっても、他に何か役立たないかなぁ?」という日常の発想です。生活を楽しむ知恵でもあるなぁと思っています。以前に使っていた徳利が割れた時に、その割れ方にピンときて、実は店の“香焚き”として使っています。割れた部分を研磨して、少しだけ手を施し仕上げました。結構気に入ってます。こんな感じで新たなものに見立ててみるのって、結構楽しいです。こんな感じで、これからも日常をより楽しんでいきたいと思います☆彡。
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