店主ブログ
vol.21『茶道具の由緒・伝来と箱書 in湯木美術館』
2021年7月18日(日曜日)“値打ち”に大きく影響する、由緒・伝来。
『茶道具の由緒・伝来と箱書 in湯木美術館』に行って参りました☆彡。
茶道具(ちゃどうぐ)
みなさまはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
少し前に、ある雑誌の取材があって、不特定にイメージをお聞きしたことがあります。その結果、色んなイメージはありましたが、
・伝統
・高価
・千利休
というキーワードが多いという結果でした。
現在の茶道は千利休以来続く約400年ある日本の伝統。その昔、一国一城の値打ちがあるとされた茶道具もあり、未だ高価なものであるというイメージがある。
有名作家がつくった茶道具は確かに高価ですが、それ以上に高価な値打ちがつくものがあります。
それこそが、“由緒・伝来”のある茶道具。
由緒とか、伝来とか、いきなり小難しい言葉になってしまうので、簡単に言い換えさせて頂きますと「生まれ・育ち」という意味合いです。
「この茶器の産地(生まれ)は◎◎で、はじめ□□という大名が所有し、豪商人の△△が購入し、□□家が譲り受けて代々引き継いで、現在に至る」という感じです。
人でいう履歴書のようなものに近いです。今の能力・性格だけでなく、これまでの経歴・学歴、生まれなどでも評価される。
古美術(こびじゅつ)全般にそれは言えることなんですが、特に茶道具はその影響が大きいと思います。
それには茶道特有の歴史的背景があります。
そのあたりを今日はお話させて頂きたいと思います。
※個人的解釈もあることお含みおきください。悪しからず・・・・・。
茶道具の“値打ち”をつくり上げた男。
「茶道具の“値打ち”を極限まで高めて、それを与えられること(賜ること)がとても“名誉”なことである」という価値観をつくりあげた男。
それは、織田信長です。
そしてその価値観は、豊臣秀吉、徳川家康へと引き継がれました。この価値観は、天下統一を見据えた織田信長だからこそ発想できたものといえます。
信長は「自分が勢力を拡大して天下統一に近づくほど、新たな土地はなくなるので、部下に十分な恩賞を与えられなくなるだろう」と先を見据えていました。
武功をあげる、戦いで奪った土地を与える、忠誠を誓うという鎌倉以来続く“御恩と奉公”こそが武士の習わし。天下統一して、部下に十分な土地を分け与えてしまったとしたら、その後どうやって部下に忠誠を誓わせるのか?良からぬ企みを起こさぬよう、もう戦乱の世に戻らないよう、部下に忠誠を誓わせる恩賞は絶対に必要である。
そのあたり、信長は、ずっと思案していたようです。そんな時のことです。
天下統一に邁進する信長は、時の将軍・足利義昭に上洛するため京の都を訪れます。
そこで、茶道具と運命的な出会いをいたしました。
将軍や大名、貴族の崇高な趣味であった茶道。そしてその道具。貴族や大名、将軍、天皇ですら茶道具をそれはそれは格別の品として丁重に扱っている。交流の絆としても使われている。その時、信長は「ピンっ!」ときたはずです。
「これ、めっちゃ使えるやん・・・」と。
思い立ったその後の信長の動きは早い早い!力にまかせて日本中の茶道具の名器を、自分の元へ一斉に集めました。それをサポートしていた人物こそが千利休。ほとんどの茶道具の名器は全て信長の意のまま。独占市場の完成です。値打ちの張り方も思いのままというわけです。
そして、部下に、茶器のお披露目、茶の振る舞いを颯爽と見せていくわけですね。「なんと神々しや。うちの大将すごいな。日本一や!!!」と思ったことでしょう。
さて、機は熟しました。
満を持して、功のあった部下に、信長は褒美として自らの茶道具を与えました。そして同時に、茶会を開く権利も特別に与えました(茶会は信長の許可制にした)。
それはそれは、そんな名誉、誉れ、秀吉はじめ部下たちは泣いて喜ぶわけです。「信長様の茶道具を賜り、茶会を開ける!」。信長への忠誠心は一層高まりましたとさ。。。。めでたし、めでたしという感じです。
武士の世に、新たな価値観が生まれました。
この“茶道政治”のシステムは、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が存分に活用し、徳川家康、そして江戸幕末まで継承されることとなります。
信長の偉業はたくさんありますが、私は個人的に、この茶道政治が一番の偉業だと思っています。以後、約300年以上継承される新たな価値創造をしたんですからね。
「織田信長から豊臣秀吉に与えられた唐物(中国産)の茶入で、その部下の◎◎へと引き継がれ、その後△△家が金500両で購入し、代々受け継がれている」というような由緒・伝来のある茶道具は、現在の茶人にも最も敬うべきものとして扱われています。
武士の世が終わっても、明治以降は財界人が男の社交として茶道を支えて、伝来を受け継ぐ者になっていきました。しかし、戦後は財閥解体があり、個人で意思を受け継ぐということは少なくなっていきましたので、今では、美術館などの公共施設におさめられることが多くなっています。
ですので、戦前までの大物財界人が事実上の最後の伝承者になるかもしれませんね。今回の湯木美術館は、あの名料亭「吉兆」の創業者・湯木貞一さんが建てられた美術館でありまして、まさに、伝承者の代表的な方でありました。
茶道具の由緒・伝来というのは、富と権力をもった男たちの系譜であったと思います。そこには、この上ない“茶道具愛”がふくまれていることは言うまでもありません。
今回の展覧会は、本当に貴重だったので、かなり長居して堪能させて頂きました。
貴重な展覧会をありがとうございました。
湯木美術館さまに、本当に感謝感謝です!
性別や国籍をこえて広がる、“お茶”の世界
「お茶」は美容と健康に良い。
鎌倉時代に日本に「お茶」を伝えたのは栄西というお坊さん。その栄西が書いた本・喫茶養生記は「お茶は健康に良いんだよ!」という内容でした。
その通りかと実感することがあります。
当店のお客さまに、お茶の先生はたくさんいらっしゃるのですが、みなさん、本当に元気です。90歳の方でも、姿勢もよく、肌も美しく、所作もお綺麗な方が多い!しょっちゅう、その現実を目のあたりにしていると「お茶ってやっぱり体にいいんだなぁ」と思います。
現在の茶道家は女性が大半なので、ひと昔前とは違い、ずいぶん華やかな茶道具が好まれるようになりました。
そして、最近では外国の方々に「お茶」は大人気。“和食”がユネスコの無形文化遺産として登録されて以来、代表的な食材の一つである抹茶に注目が集まりました。
「抹茶は美容と健康に良い」ということで、ヨーロッパのスィーツ店では抹茶スィーツがたくさん並ぶようになりました。日本の観光としても抹茶体験は人気で、茶畑で茶摘み体験をする、茶室で抹茶を点てる外国人の方々も増えているんです。
少し前に、当店に来店頂いた外国の方にお茶を点てて差し上げたら「美味しい」と喜んでいただいたことを今でも覚えています。なんだか、気持ちが通ったことをとても嬉しく思いました。
その方は、ドイツのご自宅で、洋食器のトレーを菓子器として、シュガーボウルを茶碗に見立てて楽しんでいる写真を見せて下さいました。グリーンの色がそのオレンジ色のボウルに見事に映えて綺麗でした。
これからの時代は、性別や国籍をこえてお茶を楽しむ人々は増えていくことでしょう。
そう考えると、これまでにない見立てられた“茶器”が生まれ、引き継がれることで、新たな由緒・伝来が生まれていくかもしれませんね。
“お茶”の世界にはこれからも期待したいと思います!
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