店主ブログ
vol.22『特別展 ミイラ「永遠の命を求めて」in大阪南港ATC Gallery』
2021年7月25日(日曜日)なぜ、ミイラになったのか?
『特別展 ミイラ「永遠の命を求めて」in大阪南港ATC Gallery』に行って参りました☆彡。
“ミイラ”
皆さまはどのようなイメージをもっているでしょうか?
私が最初にミイラを見たのは、エジプトの考古学博物館でした。ツタンカーメンの黄金のマスクもそこで見ましたが、同じくらい、衝撃的だったのがミイラでした。
今にも動きだしそうな、そんな恐ろしいような、、、、少し微笑んでいるように見えるような、そんな神秘的な、なんとも言えない感情になったことをはっきりと覚えています。
今回は、それ以来に見ます。20年以上ぶり。
今回のミイラ展は、世界の各地域のミイラが一堂に集結するということで少し話題になっています。古代エジプトのミイラ、アメリカ、ヨーロッパ、中国のミイラ、そして日本のミイラと言われる即身仏まで全てが拝見できます。
全てじっくりと拝見させて頂きまして、それはそれは色々なミイラがあるのだなぁと感心しました。それは、私たちが肌の色、髪の色、目の色、着る服が違うのと同じように、ミイラも全く違いました。
「まさに、文化だなぁ」と思ったのですが、ふと、なんかそれだけではない気がしたんですね。
“文化”なんて分かったような一言で片付けてしまうのは勿体ない気がしたというか。。。。
なので、自分なりに一度しっかりと調べてみることにしました。そして、もう一度ミイラ展に行ってみたんです。すると、、、馬鹿な探究心が功を奏したのか、、より深い理解をすることができました。そういう時は、個人的にとても満足した気持ちになります。
「なぜ、ミイラになったのか?」というところがより深い理解を得るポイントになったのですが、それには“死生観”が深く関わっています。特に、「死をどうとらえるか?」ということ。
次より、エジプトと日本を取り上げてお話させて頂きたいと思います。
※個人的解釈も多分に含みます、、、、、悪しからず、ご容赦ください。
死後の“自ら”の幸せを願う。
古代エジプトのミイラが世界で最も有名だと思います。1000年以上もの間、多くのミイラがつくられました。ミイラには人工と自然があるのですが、エジプトは人工のものも多いです。
死後、ミイラにするんですね。そして、その理由は、「死者が復活するために肉体を保存しておく必要があったから」なんです。
古代エジプトでは神話の影響が強く、特に、王の力は絶対でした。太陽神ラーの加護により「ファラオ(王)は現世に復活する」と信じられていたんです。そのために、一度死んでも復活するために王の肉体を保存する必要がありました。そのため、肉体保存=ミイラ化されたわけです。なので、草創期は王族のミイラがたくさんあるわけですね。
しかし、そのうち、民衆も気づいてきます。「王様、復活しないよね?!・・・」と不満がたまってきます。そこで、王族は、神話の新たな解釈として「王は来世に復活する」としていきます。
来世の楽園に復活しているという想像ですね。「来世に復活するのも、現世で肉体が必要だ」という解釈になっていくんですが、今、客観的に聞くと、大分無理ある話かもしれません。でも当時のエジプトの王は絶対でありますから、民衆はそれを信じたわけです。
しかし、時代も変わり、王族の力がいよいよ弱体化してくるようになると、最後の解釈を行うようになります。民衆を統治するために背に腹は代えられなかったのか、「民衆も来世に復活できる」としてしまいました。
これをオシリス信仰(オシリスとは神話の神であります。その昔、降臨して人々を見事に統治したのだが、不運にも殺されてしまい、その後、冥界にて復活し人々を裁くようになった。)といいます。民衆統治の苦肉の策でしょう。「現世で王の言うことを聞いて品行方正な行いをしておかないと、来世でオシリスに裁かれるときに復活してもらえなくなるぞ。だからちゃんと王の言うことを聞かないとダメよ。」というような感じでしょうね。
民は、「自分たちも救われるなら」と中世代に入るまでそれを信じることとなったんですね。
ですので、王だけでなく一般の民のミイラも増えました。ミイラ職人という職業もあったくらいで、死後の遺体から内臓(心臓だけ残す。来世の裁きに必要だから)と脳を掻き出し、防腐剤としての樹液でコーティングして安置するような仕事です。
エジプトのミイラには「死後の世界も幸せになりたい」という人々の切実な願いが込められているのだと思います。
ちなみに現代では、エジプトでは遺体を布でくるみ棺に納め地中に埋める埋葬法が多い。風土も乾燥気候なので、埋葬された中には自然ミイラになるケースもあるようです。
イスラム教やキリスト教の国々では、埋葬法として、土葬方式をとる国が多いのですが、それはオシリス信仰やキリスト信仰に見られる“死者の復活のための肉体安置”という、歴史的な背景があると思われます。
死後に“民”の幸せを願う。
では、日本についてですが、日本のミイラは他国のそれとは全くの別物だと思ってよいかと思います。なぜなら、死後に自然とミイラになったものでも、人工的にミイラ化させたものでも、ないからです。正確に言えば、ミイラとは似て非なるものだと思います。
即身仏(そくしんぶつ)
聞いたことはありますでしょうか?それは、“徳の高い僧侶が壮絶な修行の結果に絶命された御姿”のことです。
目的は、「衆生救済」です。
災難から一般民衆を救うために、自らの身を犠牲にして、永遠の瞑想に入る(入定と言います)こと。これは仏教の究極の悟りであり、それを日本で最初に実践したのは、あの“空海”だと伝えられています。日本では現在17体の即身仏があるとされています。
最も有名な即身仏は、湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺/真如海上人です。
今回の展覧にて、上人がいらっしゃいましたので、有難く拝見させて頂きました。
“衆生救済”のために行う究極の荒行。
最初の1000日は山籠もりして、口にするのはほぼ木の実だけ。そして次の1000日は口にするのは木の皮と根だけで、瞑想をし続ける。この時点で、体はすでに皮と骨だけになっている。さらに毒性の高い漆(うるし)を口にすることで、体の水分全てを体内に最後の一滴まで絞り出す。それが整うと、地中の石室に入り、鐘を鳴らしながらお経を唱え続ける。やがて鐘の音が聞こえなくなると、入定されたということであり、永遠の瞑想状態であるとされ、同時に僧侶の墓となる。
先に挙げた真如海上人が即身仏になったのは1783年であったそうですが、江戸時代最悪の飢饉と言われた天明の大飢饉が1788年に終わりました。
“衆生救済”を実現されたとしか思えないです。
日本の即身仏は「自らの死をもって、民の生を得る」という僧侶の願いが込められた御姿。世界からは“日本のミイラ”と呼ばれることがありますが、見た目は似ていても全く非なるもの。「自分が幸せになりたい」と「自分の死と引き換えに民を救いたい」は全く違うと私は思います。
11世紀~19世紀までの日本の歴史の中で、民のことを文字通り死ぬ気で祈った17人の僧侶のことを、今回、深く知ることができて本当に感動しました。
今回も貴重な展覧会をありがとうございました。
本当に心より、感謝です!
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